横浜市や大阪市などを中心に、IRを誘致する自治体の動きが活発です。
これまでにいくつかのIR法案が成立し、カジノ法案と呼ばれるものはほぼ成立し、IRの基本方針の策定が進んでいます。
しかし、カジノ法案にはいくつかの問題点が指摘されており、カジノ導入に伴うデメリットが指摘されているのが実情です。
特にギャンブル依存症の問題は深刻ですが、カジノ法案成立によってどんな影響をもたらすのか、その問題点を探ります。
カジノ法案の問題点はビジネスモデルにあり!
カジノ法案そのものの問題点として、税収を得るためのビジネスモデルが考えられます。
どのようなビジネスモデルなのか、解説します。
カジノにかかる税金のシステム
カジノを設置する際には必ず公租公課の部分が定められ、どのようにカジノ業者に税負担をしてもらうかを決めています。
主に4つのパターンがあり、1つ目は「GGR等に対する比例負担」、2つ目は「定額負担」、3つ目は「変動実費負担」、4つ目は「租税負担」です。
お客さんが負けることで成立するシステム
まずGGR等に対する比例負担ですが、そもそもGGRとはカジノの粗収益を指します。
要するに、賭け金の総額からお客さんに払い戻した金額を差し引いて、残ったものがカジノの粗収益となります。
カジノ法案の中身を見て見ると、「カジノ納付金率」という項目があります。
このカジノ納付金は30%に定められており、いわばお客さんが負ければ負けるほど、税収は上がることになります。
もしカジノ納付金だけで、税収1000億円を獲得するのであれば、3500億円ほど、お客さんに負けてもらわなければなりません。
他の項目ではさほど税収にならず
定額負担の部分は、ライセンス料に相当し、カジノ管理委員会の経費として使われるため、税収に組み込まれることはありません。
また、日本人や国内に住む外国人がカジノに入場する際の入場料も税収にカウントされますが、1日6,000円と想定されています。
このため、1000万人の入場でようやく600億円になりますが、あまり現実的とは言えません。
結局、税収を確保するには、いかにお客さんに負けてもらうかがポイントになります。
カジノ法案成立でもたらされるギャンブル依存症
カジノ法案成立に伴い、多くの人が懸念しているのはギャンブル依存症の増加です。
カジノができることで高齢者や働く世代の生活資金が奪われてしまい、ギャンブル依存症の人を増やすことが懸念されています。
世界一ギャンブル依存症が多い日本
厚生労働省は、ギャンブル依存症に関する調査を行っています。
その中で、日本でギャンブル依存症の疑いがもたれているのは成人の3.6%と推計されたことが明らかになっており、およそ320万人がギャンブル依存症という計算です。
世界で見ると、この数字は高く、2010年に調査した韓国に次ぐ数値となっています。
圧倒的に多いパチンコパチスロへの依存
日本では競馬や競輪、オートレース、ボートレースのほか、パチンコパチスロなど身近に楽しめるギャンブルが数多くあります。
この中で圧倒的に多かったのがパチンコパチスロであり、各種公営ギャンブルを凌駕しています。
パチンコパチスロの店舗を利用するアクティブユーザーは60代以上に多く、毎週のように通う高齢者は珍しくありません。
それだけ高齢者がギャンブル依存症になる可能性が高いことを意味します。
カジノ法案成立で急増が懸念されるギャンブル依存症のデメリット
カジノ法案が成立し、カジノが整備されていく中でギャンブル依存症が急増する可能性がありますが、ひとたびギャンブル依存症となるとどんなことが起きるのでしょうか。
借金を抱える人がほとんど
北海道立精神保健福祉センターでの調査では、100万円以上の借金を抱えていた人は全体の9割弱、500万円以上の借金はおよそ3分の1、1000万円以上の借金は1割程度という結果が出ています。
つまり、ギャンブル依存症になれば高い確率で100万円以上の借金を作り、それが500万円、1000万円に膨らんでも決して不思議ではないことがわかります。
家庭崩壊につながりやすい
ギャンブルが原因のトラブルも調査されており、別居や離婚といった家庭崩壊につながるトラブルがかなり目立ちます。
仕事を辞めざるを得ず、借金のために自己破産を余儀なくされ、それによって離婚につながる、ギャンブル依存症で悩む人の多くはこれらを経験します。
自殺や犯罪に手を出す可能性も
ギャンブル依存症の方の精神状態が悪い場合、自殺を考え、実際に行動に起こした人や犯罪に手を出す人もいます。
ギャンブル依存症の増加は地域の環境悪化だけでなく、治安の悪化につながる恐れもあります。
カジノ法案の問題点は社会的コストのわかりにくさにあり
カジノ法案が成立し、IRが整備されれば、税収が増えて地域への経済効果があるという話は聞きます。
しかし、カジノが整備されることでどれだけの社会的コストが発生するのか、それを示すことは難しく、計測するのも困難なのが実情です。
実際にアメリカでは、カジノが設置されたことで犯罪発生率が高くなったという報告や、育児放棄やDVなどの家庭的な問題が増えたケースが出てきています。
韓国では、カジノが設置されたことで渋滞が増え、ゴミも増加して環境が損なわれている地域があることも知られています。
カジノ法案では、こうした社会的コストをどのように扱うかが示されておらず、犯罪発生率や家庭的な問題などへの対処が求められます。
カジノ法案によるビジネスは、カジノ以外での収益を想定していない?
IR導入に向けて、カジノ法案の整備が行われていく過程で、カジノを営業するエリアの床面積を、IR全体の床面積の3%までにすることを決めています。
一見すると、狭いように感じますが、3%という数字は諸外国のカジノと比較しても平均的です。
にもかかわらず、諸外国のカジノではわずか数%の面積の施設で全体の8割、9割を稼ぐところがあります。
IRでは国際展示場や劇場、ホテルなども併設されますが、それらの売り上げは全体の1割程度に過ぎず、そのほとんどはカジノによる収益となります。
カジノ法案成立で取りざたされるハイローラーへのコンプサービス
世界のカジノではコンプサービスを展開しています。コンプはComplimentaryから来ており、その意味は「無料」です。
要するに、無料サービスを展開しているわけですが、その対象となるのは「ハイローラー」と呼ばれる人物です。
ハイローラーは、いわば大口のお客さんであり、多額のお金で遊ぶことから、おもてなしをする意味合いがあります。
カジノ法案が整備され、コンプサービスがどんなデメリットをもたらすか
コンプサービスは一見すれば企業努力のように見えますが、実は地元からすると、このコンプサービスが様々なデメリットをもたらす可能性が出てきています。
コンプサービスでIR施設内の囲い込みが起こる
コンプサービスの本当の意味は、サービスをすることでもっとお金をカジノで落としてもらうためであり、IR施設内にとどまってもらう必要があります。
すると、コンプサービスのほとんどはIR施設内に関するものであり、周辺地域にお金を落としてもらうような展開にはなりにくいです。
コンプサービスで安く食事ができ、安くアミューズメントを楽しめる中で、なぜその外に出なければならないのかとお客さんが考えるのは普通です。
横浜市を始め、多くの自治体が想定する消費需要は本当にそれだけの効果があるのかがわからなくなります。
いわゆる共食い(カニバリジェーション)と呼ばれる現象が起こり、IR施設内のお店が圧倒的有利な中、激しい競争を強いられ、旨味を得られるのはごく一部という展開になりかねません。
IRがやってきて地域経済が潤うといっても、本当にその恩恵を得られるのは一部であり、しかも、その多くが海外のカジノ事業者に行くとすれば、とても手放しでは喜べません。
カジノ法案成立で、横浜のまちづくりはこれで正しいのか
横浜にIRが設置されることで、年間百億円の税収のアップを見込む試算があります。
この数字は新型コロナウイルスが発生する前の数字(試算)であり、現状いくらまで落ち込むかは定かではありません。
IR設置の基本原則として、カジノでの収益は公益に還元されること、カジノに関する規制を世界最高水準にし、そのための歳出増については安定財源を確保することなどが掲げられています。
カジノの設置はあくまでも公益目的への還元、そのことがカジノ法案の整備の中で語られてきました。
その一方、横浜市が得る税収のほとんどは、お客さんが負けたお金の一部です。
外国人観光客がどれだけ参加するかはわかりませんが、横浜市民だけでなく周辺自治体の住民も少なからず参加し、横浜市民や周辺自治体の住民がカジノで負けて、それを元手にまちづくりを行うことを意味します。
本来であれば、市民の税金を元手にまちづくりを行う必要があり、そのために行財政改革や企業誘致などを行う責務が横浜市にあります。
その努力を放棄し、お客さんの負け額を利益とするカジノに活路を見出すことが、果たして横浜のまちづくりとして正しい選択なのか、疑問を呈されても仕方ありません。
まとめ
カジノ法案が成立し、IRが整備される中で、お客さんが負けたお金でまちづくりが行われ、地域を活性化させようというのが横浜市の基本的なスタンスです。
しかし、ギャンブル依存症の問題は深刻で、フラッと立ち寄りやすいパチンコパチスロがたくさんあることで、パチンコパチスロをきっかけとしたギャンブル依存症のケースが増えています。
ひとたびギャンブル依存症となれば、借金を作り、家庭崩壊につながり、地域社会に悪影響をもたらす可能性も考えられます。
そこまでして横浜のまちづくりは行われていくべきなのか、そのことを市民1人1人が考えなければならない状況となっています。